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麗しき日本の風土に生まれ、育まれてきた芸能の数々・・・。
そのなかでも「能楽」は、幽玄の美と洗練された写実性が絶妙のバランスをかもし出す、わが国を代表する伝統芸能であり、現存する世界最古の舞台芸術です。

「能楽」の源流をたどると、奈良時代に大陸から渡って来た民間芸能 散楽(さるがく)がもとになっています。

「能楽」は、笛や鼓の伴奏にのせ、歌い舞う音楽劇の「能」と、滑稽なセリフ劇である「狂言」からなり、観阿弥・世阿弥親子によって、14世紀頃にほぼ今日の形に大成されました。
田原本町には、能楽に関係する地名がたくさん残っています。

「十六の面」と書く「十六面(じゅうろくせん)」の地名。
ここは、天から十六の面がふってきたといいます。
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大木という村には「フエフキ」「ツヅミウチ」「ヒョウシダ」、法貴寺(ほうけいじ)という村には舞庄(まいのしょう)など舞楽に関係ある名前がいまも残っています。舞庄からは能の面も発掘されました。
「補巌寺(ふがんじ)」は世阿弥が学んだ寺として知られています。
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門前に建つ「世阿弥参学の地」の碑です。
世阿弥は金春家で修行したのち、この「補巌寺」で禅宗の教えを受けました。門前には「不許葷酒入山門(ふきょくんしゅにゅうさんもん)」の碑もあります。
禅宗のきまりで、ネギやニラなどの臭いのきつい野菜を食べた者・お酒を飲んだ者は門の中に入ってはならないという意味です。
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「補巌寺」に残された納帳、すなわち寺領(じりょう)の台帳のことです。
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納帳に記された「至翁禅門(しおうぜんもん)」の名。
「至翁禅門」とは世阿弥のことです。世阿弥の妻「寿椿(じゅちん)」の名もみえます。世阿弥の命日が8月8日であることがわかります。
2002年8月8日にも、世阿弥を偲ぶ会が全国に広がる観世会や地元の有志の人々によって執り行われました。
“秦氏(はたし)の楽人の寺”という意味の「秦楽寺(じんらくじ)」です。
散楽(さるがく)の祖である秦河勝(はたのかわかつ)が建てた寺で、門前には金春屋敷があったと『風姿花伝(ふうしかでん)』に記されています。
「西竹田」には金春による「竹田の座」があったと伝えられています。
現在残る能の流派は、金春・金剛・宝生・観世そして江戸時代になって創設された喜多の5つ、狂言は大蔵と和泉の2流派です。能の最古流派である「金春」、最大流派の「観世」をはじめ、能楽の源流がこの田原本の地にあります。
「楽戸郷(がくとのさと)」があった村屋神社周辺の風景です。「補巌寺(ふがんじ)」のある「味間」、村屋神社のある「蔵堂」、「フエフキ」などの地名が残る「大木」など、村屋神社を中心とする「杜屋郷(もりやごう)」には、奈良時代すでに散楽戸(さるがくこ)がありました。
平安時代になると、「杜屋(もりや)」の地に、伎楽(ぎがく)や舞楽・散楽の選り抜きの楽人たちが住む「楽戸郷」が存在したと『延喜式(えんぎしき)』に記されています。
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室町時代になると、大和には、金春・金剛・宝生・観世といった有力な4つの猿楽の座、大和四座がおこりました。
上島文書(もんじょ)の「観世系譜」によると、観阿弥の嫡流は「蔵堂」の名がつくことから、観阿弥・世阿弥は、もともと「杜屋」の人ともいい、「秦楽寺」や金春屋敷ももとは村屋神社にあったという説もあります。
「楽戸郷」があったこの田原本周辺に、室町時代になって金春や観世といった有力な猿楽の座がおこったのは決して偶然ではありません。
弥生時代、唐古・鍵のムラでは銅鐸を使って音楽を奏で踊りを舞いマツリをしていました。田原本町にはふるくから「音楽」と「舞」の文化が芽生え、その時代時代の文化に彩りを添えてきたのです。
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2001年5月18日
ユネスコは民俗芸能など、世界の無形の文化遺産をたたえる第1回「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」を発表、日本の「能楽」が指定されました。
無形の世界遺産となった「能楽」、その発祥地の田原本町。

「能」の中に連綿と語り継がれてきた音楽、舞いや謡(うたい)、そして日本の「心」は、
現代の私たちにも通じる新たで多様な文化を生み出す可能性を秘めているに違いありません。